余市どうでしょう
《北辺の図書館めぐり 第1回/「SWAN」2004年春号》
 
新谷保人
 
 
1.小樽から余市へ
 
 札幌から函館まで伸びている国道5号線。その途中に小樽も余市(よいち)町もあります。余市は、札幌から来た5号線が小樽を通り日本海側を走って行って、その日本海側から太平洋側の長万部(おしゃまんべ)へ抜けるため内陸へグッと曲がって入るところがありますが、その「グッ」が余市町。
 
 ちなみに、曲がらないで直進すると積丹(しゃこたん)半島の古平(ふるびら)方面へ行ってしまいます。詩人の吉田一穂の出身地・古平町ですね。
 で、さらに行くと、積丹半島突端の神威(かむい)岬。そこから半島の反対側をぐるっと下りて来ると、水上勉の『飢餓海峡』で有名な岩内(いわない)町です。
有島武郎の『生れ出づる悩み』のモデル・木田金次郎が生れた町も、この岩内。
 その岩内町からバーンと山越え、チーズと紅茶でひと休みしてから(この「SWAN」誌上ではつとに有名な)「あそぶっく」の町・ニセコ町に出たり、あるいは、私の好きな畔柳二美(くろやなぎ・ふみ)の作品『姉妹』(「姉妹」と書いて「きょうだい」と読みます)の舞台・尻別川を遡ってからニセコ〜倶知安(くっちゃん)に出る方法などいろいろご紹介したいアイテムはあるのですけれど、今回の趣旨からは外れるので、いずれまた別の機会に。
 
 小樽〜余市を取り巻く文化的環境はこんな感じです。どちらの町も、札幌文化圏と後志(しりべし)文化圏をリレーするツイン・タワーみたいな位置付けといえばいいでしょうか。余市の方がいくぶん「後志」的な色彩を色濃く残している町かな。私の印象では、余市の町は、とても都(みやこ)っぽい町に感じます。適当に鄙びていて、質素なのだけれど上品という。町の人もかなり教養が高い印象を受けます。小樽には少しある「成金」の臭いが、ここには何故かまったく感じられない。
 
 
2.余市の町
 
 手塚治虫の『シュマリ』で、男と駆落ちして北海道へ逃げていったシュマリの女房・妙が、ひっそりと男と暮していた場所がこの余市川のほとりでした。仁木(にき)方面から入ってきたシュマリが妙たちと再会する場面から始まる『シュマリ』は、数ある手塚作品の中でもベスト3に入るくらいに好きな作品です。(歳さまも出てきますし♪)
 山田風太郎『地の果ての獄』では、若き日の幸田露伴が、小樽まで船で辿り着いた主人公たちと手宮(てみや)線の中で同席する場面もありますね。余市から出てきた幸田露伴は、小樽(手宮)で、この明治13年日本で二番目にできた国有鉄道・手宮線に乗って札幌まで遊びに出たのでした。なんで露伴がここにいたのか?それは、東京の電信修技学校を卒業した露伴が、電信技手としての最初に着任した地がこの余市だったのでした。(理系の人なのね…)
 
 
 
3.町立図書館
 
 他にも、ニッカ・ウィスキーの創設者・竹鶴政孝と夫人のリタ(ジェシー・ロベルタ・カウン)の話などにもふれたいところなのですけれど…時間がありません。小樽に遊びに来てくれたら、この分野は朝飯前で現地案内人しますから、それでご勘弁を。
 
 さて、図書館です。
 
 駅前から宇宙記念館(そういえば余市は毛利衛さんの故郷でもあるのです)方面へ行くと、余市橋から赤いトンガリお屋根の図書館がすぐに見えてきます。
 2月の写真なもんで…まだたっぷりと雪が積もっていますけど。まあ、内地の人には、雪の中の図書館というのも一興ではないかと。こんな感じで、北国の図書館は「冬期間閉鎖」もせずに文化の灯をともし続けているのです。
 図書館の後進地域、北海道。その中でも、さらに後進暗黒地帯である「後志」。そこで、唯一、本物の図書館として存在し続けてきた余市町立図書館の意義は大きい。この図書館がなかったら、みんな小樽の見よう見まねでテキトーなミニ図書室を作っていたのではないかと思いますね。
 何のために機械化するのか…なぜ郷土資料を集めるのか…そういう「図書館」としての基本的な約束事を物真似でやってはいけない。小樽でもやっていたからウチもやろう!では話にならない。そういう頭の悪さは市民に伝染するから怖い。
 なぜ私たちは図書館を望むのか…なぜ私は司書をやっているのか…そういう基本がわからなくなった時は、迷わずここに来ればよい!という存在が後志では余市の図書館だと思います。
 
   
 
 そのとんがり屋根の内部です。2つのサイロ型の中は放射線状に書架が配置されている。ひとつが一般閲覧室で、もうひとつが児童閲覧室。それらの間にレファレンスのスペースが設けられていて、参考図書・図書館資料・郷土資料などが集められている。このコーナーの真向かいが貸出カウンターで、そこにはいつも司書がいますから、公共図書館にありがちな受験勉強で机を占領している学生もいないし、ケータイをぐちゃぐちゃいじっているアホもいない。1階内部は、ブラウジング、AVコーナーも含めて、全部、書架で仕切られただけのホールになっています。
 
 
  
 
 しかし、余市町立図書館の施設・設備を褒め称えるのは私の本意ではありません。この図書館が真にすばらしいのは、持っている蔵書と、それを活かすサービスなのです。
 
 そんなセンスの良さを示す好例が、この「図書館だより」。
つい先日も、違星北斗の『疑うべきフゴッペの遺跡』を青空化している関係で基テキストにもあたっておこうと余市町立図書館に行ったのですが、玄関を入るなり、いきなりこの「図書館だより」の4月号、「春、満開!フゴッペ洞窟」のお出迎えでした。
そして、ホールの展示ケースでは「フゴッペ洞窟とその時代」のミニ展示が! 書架には『フゴッペ洞窟・岩面刻画の総合的研究』(中央公論美術出版 2003.12)がすでに入っているし…
もう、言うことありませんね。完璧。
 
 貸出カード持っていない小樽市民なんですけれどね。でも、何時間でもレファレンス・コーナーで遊んでいられます。疲れたら余市川の土手でタバコ吸ってるのも楽しいし、「椎名誠文庫」(余市に別荘を持っている椎名誠氏が自分の全著作を寄贈してくれたんだそうです)の本をパラパラ見ているのも楽しいし… この日は、レファレンス・コーナーの書架に湯本喜作の『アイヌの歌人』(洋々社 昭和38)を見つけて興奮して読んでいました。
 違星北斗が病気になってもなかなか生まれ故郷の余市に戻らなかったのは、昔、『疑うべきフゴッペの遺跡』を発表して物議をかもし、それがために国の史跡指定が遅れてしまったことを気にしていたのではないか…という湯本氏の指摘はおもしろかったですね。じつに私の思い描いた「違星北斗」のイメージにも近く、ますます親近感が湧きました。そうなんですよ!違星北斗は、もういい加減「アイヌ文学」といった狭い枠組みからは解放して、近代日本文学の作品として読んだ方がいいのではないか。正当に、同時代の宮沢賢治などと読み比べた方がよいのではないかと思いますね。『疑うべきフゴッペの遺跡』も、「俄学者」などと冷たい悪罵を投げつけるよりは、椎名誠の『あやしい探検隊』と同じフィクションなんだと割り切って読んだ方が、どんなにか互いにとって生産的かと。
 
 
4.フゴッペ洞窟
 
 さて、そのフゴッペ洞窟ですが。小樽市から国道5号線を余市町めざして行きます。蘭島(らんしま)を過ぎて、畚(←「ふご」って読むの初めて知った)部岬トンネルを越えるとすぐに左手に案内板が見えてきます。
 
 地元で「丸山」と呼ばれていた丘陵の麓に洞窟が見つかったのは昭和25年のことでした。海水浴に来ていた札幌の中学生が偶然洞窟に入り、内部に彫刻された壁画を発見したのです。発見時は、子どもが腹這いになってようやく通れる程の穴だったそうです。正式な発掘調査が昭和26年から28年にかけて行われ、その結果、洞窟内の凝灰岩の壁に、角・翼を持った動物の仮装をした人物像、舟と漁師、狩人、魚、四足獣や海獣のようなものなど、なんと609点に及ぶ彫刻が発見されたのです。
 
 同種の彫刻群は、小樽市の「手宮洞窟」でも見つかっており(こちらの発見はものすごく古い。なんと榎本武揚やジョン・ミルンの明治初期ですでに国際学会にも発表されていた!)これらの壁画の持つ意味についてさまざまな分析や解読(←「文字」と考えた場合)の試みが行われました。
 
 
 違星北斗の「エカシシロシ」説も、広い意味での「古代文字」説の一種といえましょう。この図形はアイヌの使うエカシシロシ(日本人で云えば「家紋」「屋号」に相当するもの)ではないか…というのが違星北斗『疑うべきフゴッペの遺跡』の主張でした。(→詳しくは「Northern songs」2004年4月号を参照)
 
 が、しかし、これらの「古代文字」説は、現在では全く否定されています。やはり、これらは動物や人間を描いた壁画であろうと… まあ、当然と言えば当然なのかもしれないけれど、ちょっと寂しい気もしますわね。あんまり優等生ばかり集まった学問になってしまうと、なぜかしら「コロボックル」説などを大真面目で論争していた昔がひどく懐かしい。
 「古代文字」派の猛者の中には、ルーン文字との類似性を主張したり(おお「ロード・オブ・ザ・リング」じゃないか!)、あるいは、我レ解読ニ成功セリ!なんて学者もいたりしたそうです。なんでも「我は部下を率い、大海を渡り…闘い…この洞窟に入った」と読むのだそうですが、この解読にかけた研究者としての一生を思うと、なんと言えばいいか…言葉もありません。
 
 そういえば、鶴岡正義と東京ロマンチカも名曲『小樽の女よ』の中で「偲べばなつかし〜古代の文字よ」なんて歌ってますね。(←バカ…)
 
 
 「フゴッペ洞窟」が、2年間のお休みを経て、この4月20日にリニューアル・オープンするそうです。今年の冬は雪も少なく、春の雪解けも例年になくきれいに融けました。ほとんど泥んこ道のたいへんな思いも経験しないまま、水芭蕉やふきのとうの春になっています。20日頃には、きっと木々の緑はいちだんと輝いていることでしょう。またデジカメ持って野山を走りまわる季節がやってきました!