九月五日


 

 夢はなつかし。夢みてありし時代を思へば涙流る。然れども人生は明らかなる事実なり。八月の日に遮りもなく照らされたる無限の海なり。

 予は今夢を見ず。予が見る夢は覚めたる夢なり。

 予は客観す。予自身をすらも時々客観する事あり。かくて予のために最も「興味ある事実《は人間(oo)なり。生存なり。

 人間は皆活けるなり。彼等皆恋す。その恋或は成り或は破る。破れたる恋も成りたる恋も等しく恋なり、人間の恋なり。恋に破れたる者は軈て第二の恋を得るなり。外目に恋を得たる人も時に恋を失へる人たる事あり。

 予は此日より夕方必ず海にゆく事とせり。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

1