汗に濡れつゝ
 
石川啄木
 
 
(八)

▲海と山! 暑くなると誰しも海と山を思ふ。常に都会の栄華を想望し乍ら片田舎に朽ち果てゝ了ふ人の一生も哀れなものであるが、白兵戦の様な都会生活の中に、汗にまみれて寝転び乍ら、海と山とを思ふ男の心にも否(いな)み難き人生の冷さがある――
▲海といふと予の胸には函館の大森浜が浮ぶ。東北の山中に育つた予には由来海との親みが薄い。十四の歳に初めて海を見た。それは品川の海であつた。その時海は穢(きた)ないものだと思つた。その後時々海を見た。然しそれは何(いづ)れも旅行先での事で、海を敬し、海を愛し乍らも、未だ海と物語る程親しくはならなかつた。
▲一昨年、と云へば大火のあつた年である。臥牛山麓の花のまだ咲き初めぬ頃から、うすら寒い秋風の焼跡を吹き廻る頃まで、予は函館にゐた。その百二十余日間の断(き)れ断(ぎ)れな日記は、予と海との交情のいかに厚かつたかを事細かに語つてゐる。情人(じやうじん)「海」と予との媾曳(あひびき)は日毎の様にかの大森浜の砂の上で遂(と)げられた。
▲その後小樽にもゐた。釧路にもゐた。然し小樽の海は、宛然(さながら)成上りの富豪(かねもち)の細君の様に冷淡であつた。釧路の海は唯寒く唯寂しかつた。冬の最中(もなか)の事である。その広々とした寥(さび)しい湾内に一隻か二隻の小さい汽船が頼り無げに碇泊してゐるのを、支庁坂の上から眺めやつて、思はず身慄ひした事がある。名にのみ聞いてゐた流氷が時々その湾を閉した。航海の経験は別として、予と海との関係はこれ丈である。去年東京に舞ひ戻つてから一年の余になるが、予はまだ東京湾も見ない……見る暇がない。
▲海と云ふと、矢張第一に思出されるのは大森浜である。然し予の心に描き出されるのは、遠く霞(かす)める津軽の山でもなく、近く蟠(わだか)まる立待岬(たちまちさき)でもたく、水天の際に消え入らむとする潮首(しほくび)の岬でもない。唯ムク/\と高まつて寄せて来る浪である。寄せて来て惜気(をしげ)もなく、砕けて見せる真白の潮吹である。砕けて退(ひ)いた後の、濡れたる砂から吹出て、荒々しい北国の空気に漂ふ強い海の香ひである。
▲あの音――(思出しても霊魂(たましひ)の土台まで揺がされる様な気がする。)ドヽヽと砕けて来て、ザーツと砂の上を這ひ上る。冴(あ)と思ふと退いて行く。予はあの浪に足を嘗(な)めさせるのが好だつた。砕ける浪の音――と言つた丈では足らない――力ある「海」の言葉は深く予の耳底に刻みつけられてゐる。
▲海が恋しい――これは予の浪漫的(ロマンチツク)である。パザロフは四十幾つになつてヰオロンセロを弾く友人の父を、転げ歩いて笑つた。予も亦予の浪漫的(ロマンチツク)を笑はねばならぬ。投げ捨てねばならぬと思ふ。思ふのは単にバザロフの真似を為ようとするのではない。が唯思ふだけである。悲しいかな唯思ふだけである。
 

函館日日新開 明治四十二年八月四日
 
 
(九)

▲大森浜の浪穏かな、六月(一咋年)の或る日であつた。予は岩崎君――友人――と二人、とある砂丘(すなやま)の上に寝転んでゐた。空(は)れて日の光華やかに、砂は心地よく温まつてゐた。何の話をしたかは忘れたが、然(さ)うして寝転んでゐたのは三時間か四時聞の長い間であつた。そして、その温かな砂を掘つて、二人は喰ひ残しの大きい夏蜜柑を其中に埋めた。
▲二人は其間(そのとき)こんな事を思つた。『南国の山に熟(う)んだ夏蜜柑を、北海の浜の砂に埋めるとは面白い事だ。』と。……そして言つた。『温かい砂に埋めてやると、夏蜜柑は屹度(きつと)南国の山の暖かさを夢に見るかも知れない。』
▲友人はもう此事を忘れたかも知れない。(忘れて然るべきである。)ところが予は今だに此小児染(こどもじ)みた戯(たはむ)れを忘れしまて了はずにゐる。
▲その頃の予は、然うだ、矢張(やはり)若かつたのだ。今も若いがその頃はまだ/\若かつたのだ。それだけに、その頃の事を思出すと何となく恥かしい。と共に懐かしい。
▲厳然として充実し、而して、洞然(どうぜん)として空虚なる人生の真面目を、敵を迎へた牡獅子(をじし)の騒がざる心を以て、面相接して直視するといふ事は容易に出来る事でない。直視するに堪へないからこそ、我等は常に「理想」といふ幻象を描いて瞞着(ごまか)してゐる。
▲その頃、天地人生に対して、予は予の主観の色を以て彩色し、主観の味を以て調理して、以て、空想の外套の中に隠れてゐる自分の弱い心に阿(おもね)つてゐた。一切が一切に対して敵意なくして戦つてゐる如実の事象を、その儘で自分の弱い心に突きつける事が出来なかつた。――今も出来ない。
▲詩――詩とは何ぞ? 囈語(たはごと)ではないか――
▲我等はモツト早く目を覚まさねばならなかつたのだ。……夏蜜柑を砂に葬つて来た事を二三の友人に話すと、三四日経つてから其人達が散歩の序(ついで)、その砂丘に立寄つて、標の木片(もくへん)を見付けて掘り出して見たさうだ。夏蜜柑は腐つてゐたといふ。然(しか)り、夏蜜柑は腐る物である。――
 

函館日日新開 明治四十二年八月五日
 
 
 

 底本:石川啄木全集 第4巻  筑摩書房
  1980(昭和55)年3月初版発行
 

 入力:新谷保人
 2008年8月15日入力