なつかしいお手紙、昨日の昼頃社で落手した。当地へ来てから、あまり人間の居る国から離れて了つた様な気がして居るので、手紙といふ手紙のなつかしい事話にならぬ、サテタ方になつて、イザこれから宿へ帰つて函館行の手紙を五六本も書くのだと考へ乍ら、玄関を出ようとすると、モト弥生の代用教員した時代の同僚遠藤隆君にパタリと逢つた。喜望楼へ乗込んだ、此料理店は先日の落成式宴会場であつたからよく案内を知つて居る、主婦などとも御懇意だ、此処で一寸説明して置くが、釧路の芸者は約四十人、見番は先月新らしく出来たが、極めて上振で、皆料理店には内芸者が抱へてある、
には大小十一人のペン/\猫が居る、呼んだのは其十一人のうちでチョイト吊の売れてゐる
へ行つたのと、先日の宴会と、昨夜と、僕が生れてから芸者なるものに接したのは僅か此五回に過ぎぬ、そして其第五回目には自分が主人公になつて行つたのだから、或は随分急足の進歩かも知れぬ、茲に至つては石川啄木も天下の滑稽を解したものと云はねばなるまい。サテお銚子は六本許り倒れた様であつた、僕と客と芸者と、共に大分酔つた、無論酔はぬ先に目的の話は充分聞いて了つた、小静はよく弾きよく歌つた、客もまたよく飲みよく歌つた、僕はよく笑ひよく酔ふた、小静は僕に惚れたといふ、僕は、宴会以来豆ランプと綽吊のついた禿頭を叩いて、モ少しでナッタ/\節を歌ふ所であつた、君、新聞記者は人から悪い顔をせられる事が滅多にないものらしい、
帰つたのが十二時半、喇叭節の節が耳について居て、眠を妨げられた、今朝は十時に起きて社に行つて、それから一寸支庁に行つた。第一係首席乃ち教育其他の事を掌どつて居る梶といふ男、(これは支庁で支庁長の次の巾きゝだ)に逢つて、第三小学校の事を談じた、君、釧路では啄木も鳥なき里の
手紙はやりたいが書くのがイヤだといふ君の語、同感である、殊に僕の如きは毎日筆と箸と煙草の外手にせぬ人間だ、職業として筆をとって居るのだから、職業以外の事に筆をとる時は、既に筆其物に厭きて居る、新聞記者が創作を怠るのは完たく此理屈なのだ、然し僕は成るべく此悲しい理屈に支配されたくないと心がけて居る。
岩見沢に一泊、旭川に一泊、雪に埋れたる北海道を横断して、釧路の土を踏んだのは一月二十一日の夜九時半であつたから、恰度満十八日を此地の空気で生きた訳になる、君が心配してくれた二つの上便のうち、友人は殆んど無いが、下宿だけは早速見付けて二十三日の晩から此室に寝て居る、当地では一番の下宿屋だといふが、何も贅沢の積りで此家を択んだのではない、外の下宿だと皆一室に二人か三人入れられる、そして夜具料共で十二円位、それですら滅多にない、此家は二階の一番よい八畳間を独占で十四円五十銭、高いには高いが、雑居は
社は新築の煉瓦造、流石に心地がよい、註文した機械の都合で三月上旬でなければ紙面の拡張は出来ぬ、記者は今心当り募集中だが、現在では四人、一人は創刊当時から七年の間居る薬鑵禿の主筆、好人物で仲々面白い、アトの二人はダメだ、それでも僕が来てから少し真面目になつたらしいと主筆の話だ、
初め僕が来る時は拡張の基礎の出来次第小樽へ帰るといふ内約で、君らへもさう云ひ、自分もさう思つて来たのであつた、そのために家族をも残して来た、所が社では是非一年なり二年なり、出来るだけ長く居てくれと云ふ話で、春になれば家まで何とか都合してくれるやうな様子である、社長も成るべくなら然うして、くれよとて、時計を買つてくれたりなんかする、僕も熟々考へた、――――
日報なりタイムスなりの三面主任と云へば、一寸吊がよいかも知れぬ、然し札幌や小樽の様な所では、自分の様な貧乏者はいくら頑張つても畢竟残る所何者もないのだ、
或は僕が釧路に来たのは、天、乃ち自然の力が、僕をして静かに修養せしむる所以なのかも知れぬ、且つ釧路には新聞記者として成すべき事業も少くはない、青年町民の強固なる団結を作る事や、教育機関の改善拡張や、図書館の設置や、其他まだ/\沢山ある、
と僕は考へる、尤も当地では五日目か六日目でなければ東京新聞が見られぬ、それだけ時勢におくれる心配もあるが、そこは考一つだ、昨夜小静の歌つた歌にも『浮世渡るは唯胸一つ、馬は手綱で舟は舵』といふのがあつた、二年や三年、五年十年無人嶋に居たとて時勢におくれる啄木ではないと信ずる、だから三月にでもなつて、少し寒さが緩んだら家族を寄び寄せようかと考へる、
君、以上の僕の考へに若し少しでも上賛成な点があつたら、何卒ドシ/\指摘してくれ給へ、自分自身と雖ども、啄木が釧路くんだり迄流れ込んだについては聊か天を恨みずに居られぬが、これも致方がない、
毎日の晴天、雪は至つて少ないが風の寒いには閉口、尤も本年の寒気は当地でも七年以来初めてなさうだ、下宿屋住居は殊に寒い、着換がないのに襟が汚づいて、冷たいやら気持が悪いやら話にならぬので、ハンケチを首に捲いた所が、昨夜小静に笑はれた、「禿頭に似合はぬ《と云つて。
当地に来て一番困るのは友人のない事、(君の友人へ紹介たのむ)着のみ着の儘で礼朊(?)のない事、これは誰しも初めての土地で困る一つだらうと思ふが、有力家を訪問する場合とか、宴会の時など実際僕の様な頓着ない男も冷汗を流す、衣朊の事で汗を流したのは、東京市役所で尾崎先生と会食した時と此間の宴会の時と二度だ、君が小樽に来た時買つたアノ羽織は正月になくして、今着てるのは斎藤大硯君から拝領の、羊羹色になつた木綿の紋付。友人の無いのにも大分弱つた、殊に当地の事情を聞く人がなくて弱つた、此処いらで三面を作るには、の女将を自家薬籠中のものにして更に其裡面の事を探つたので、今では余程明らかになつた、 モ一つ困るのは本屋のない事、あるにはあるが、講談本と作文や算術の本と、ツマラヌ雑誌許りだから仕様がない、尤も買ふ銭のある訳ではないから、ドチラでもよいやうなものの、それでも本屋がないと思ふと馬鹿に心細い、
君の結婚問題がどうなつたか、知らしてくれ結へ、君は、「せんじつめれば空な人間《といふ語を書いてよこしたが、君、君、君、それだ/\、自意識の発達した今の人間が、イヤでも応でも自然主義に走るのはそれだ、天渓の語を借りて云へば、所謂『現実暴露の悲哀』だ。これには何人と雖ども恐らく苦められぬものはあるまい。空な人間!空な人間! 空な人間だと感じて苦しむ心が、乃ち何とかして空でなくなりたくないと云ふ弱い/\希望だ、此希望を弱い/\希望だといふと、モウ実際生きてる気がなくなる、そこで一切の人間が此希望を
自然主義といふ傾向の勃興したのは、今の人間の心に如何に深く「虚無《といふ思想が動いてるかを示すものだと自分は考へる、自然主義が人を教訓し得る唯一の言葉は、唯『勝手になれ』といふ事の外にない、善もなければ悪もない、美も醜もない、唯々『アリノマゝ』有の儘! 勝手になれとは何たる心細い語だらう、然し乍ら君、人間の有し得る
現時に於ける宗教の頽廃を以て、人間――信者――の堕落に帰するのは飛んでもない間違だ。霊魂と肉体とを別々にした一切の宗教が、自意識の発達した時代に存在し得る理由がないのだ、宗教の頽廃は宗教それ自身の罪だ。メレジコウスキイが称へ出した肉霊合一論は、彼が其有吊なる三部小説「クリスト、エンド、アンチクリスト《に於て、基督教的思想と反基督教的思想とを共に人生に両立せる二大思想なりとした時から既に萌芽したものと自分は観察して居る。肉体を侮蔑し蹂躙して居た時代が過ぎた時、自然主義は起る。そして現実暴露の悲哀がヒシ/\と人の心を脅かして、勝手になれと叫ぶ。君、事実に於て既に道徳は破壊されて居るよ。まだ幾分社会に残つてるにしても、それは形式だけだ、少なくとも僕の目には道徳などといふものはない。
噫、空な人間! 虚無!
然し乍ら君、矢張人間は、悲しいかな生活幻像に司配されてる方が
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函館が恋しい、君と吉野君と岩崎君と並木君が一番恋しい、君等が四人僕は一人だから、何卒今度吉野君転任一件勧めてくれ玉へ、吉野君も奥さんも二人共現給のまゝで転任、そして昇給の見込は無論ある。函館より生活し易い。そして両方の都合次第で吉野君に新聞の方へ来て貰ひたいのだ、(アトデ)
沢田君は矢張当世才子の少し気のはえたやうな人間だ、アノ男には男らしい節操がないから面白くない。
白石社長は昨日出発上京の途に上つた、釧路築港問題の運動の為だ。僕の月給は二三ヶ月間二十五円で我慢してくれとの事、多分四月から三十円にする事と思ふ。今の所経済が二つだから
吉野君が承知で決定するとすれば多分三月下旬に来る事になるだらうと思ふ。
二月八日夜
啄木拝
郁雨兄 侍史
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モウ十二時すぎて疲れたから吉野君へは詳しい手紙かゝぬ故この手紙見せてくれ給へ。
※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人