空前の大時化
小樽港内の旋風
鉄道電話の不通
石川 啄木
▲稀有の大暴風 一昨夜半の大暴風は小樽港を中心として延長数十里に亘り殆んど空前の暴威を揮うて各沿岸を襲ひ驚くべき損害を与へたり。今不取敢概況を報ぜんに、何しろ稀有の大時化なりとて故老も驚き居る位なれば、詳細の状報達せば各地の損害意外に大なるべしと思はる。
▲一昨日の天候 一昨日早朝は微南風なりしが、午前十時頃より真南となりて梢々勢ひを増し為めに暖気を催して降雨ありしが、午後五時前後忽焉(こつえん)西北風と変じ刻々暴威を逞(たくまし)うし来りて、雪交りの寒風雨戸の隙より鎗の如く屋内に吹き込み、剰(あまつさ)へ屋棟(やのむね)鳴渡りて眠る能はざる程なりしが、昨日午前二時頃に至りて俄然大河の一時に決するが如き響と共に空前の烈風と変じ、小樽港内には旋風にても起したるものゝ如く同時に海嘯(つなみ)かと疑はるる許りなり。
▲七八尺の怒濤 沿岸を襲つて百雷の轟く如く、港町三十番地竹森造船所裏手に積み置きたる角材三百石及びボート一艘を流(うしな)ひ去りたるを手初めに、約一時間許りの間は寄せては帰る巨浪の為めに沿岸至る所損害を蒙らざるはなく、浜町の如きも道路の半ば迄浸水したる程にて、昨朝記者が不取敢見廻りたる際の如きは、名残の波猶荒く、流失せる木材や艀の破片など海藻と共に沿岸に漂ひ、各戸炊出其他にて困難名状し難く悽惨の状宛(さなが)ら火事場の如くなりし。
▲被害艀数 何しろ防波堤の上を二丈も波が越えたりといふ程なれば、碇泊中の汽船には損害なかりしも港内の艀一として風浪の弄(もてあそ)ぶ所とならざりしものなく、沖合二百間位の所に繋留しありし大艀二十幾艘の如きは、二百円も投じたるロツプ綱髪毛の如く切断されて東南勝納(かつない)町若竹町方面に吹流され大多分は粉微塵に破壊し尽されたる程にて、本稿を草する迄に分明したる分は左の如し。
○小樽組 乗用船給水船二十五艘中行衛不明十八、修繕再用の見込あるもの三。損害約二千七百二十円。
○丸大の分 中艀一、デツキ運送船一、箱艀四、此損害六千九百七十円、同上積荷損害中小樽木材会祉の分一千二百二十円。
○橋木幸次郎の分 デツキ運送船二、損害二千円。
○浜名甚五郎の分 デツキ運送船中六、艀一行衛不明、損害六千九百六十円。
○鈴木市次郎の分 箱艀二、積荷共損害六百五十円。
○小樽艀合資会杜の分 デツキ六、箱艀二、損害五千五十円(全部行方不明)。
○若桑久吉の分 デツキニ、箱艀一、磯舟二、損害三千四五百円、外第三共学丸より揚荷白米千二百五十俵の内二十俵流失。
○徳島幸太郎の分 箱艀一(塩三百二十俵積載)損害千三百円。
○室谷長左衛門の分 磯舟一、損害百五十円。
○中塚藤太郎の分 デツキ一、箱艀二、積荷共損害二千五百円。
等にして、午前中に確められたる者、乗用船二十二艘、運送船二十七艘にして、其損害二万七千五百余円。之に積荷の損害五千八十円を加ふる時は実に三万三千円に上る。猶此外信香勝納若竹町方面にも磯舟等の流失夥(おびただ)しと云へば、僅か一時間中に蒙りたる小樽港内の損害五六万円に達すべく、更に同夜港内に碇泊しありたる。
▲商船六艘の行方 不明にして、其内樺太丸の積荷は全部流失したりと伝へらるるが、同船には製綱会社の積荷のみにても一万円以上の価格ありしと云へば、其等の為め間接に損害を蒙る保険会社もあるべく、同夜損害総額は少なくとも三十万円位に達すべしと某氏は語り居れり。
▲潰倒建物其他 区内沿岸の各町中、港町以南信香勝納若竹方面は流失木材の為めに土地崩潰して道路破損したる箇所少なからず。信香裡町(うらまち)十八番地藤井万吉、野田吾一及び其西隣四戸、若竹町にて大間重次郎、斎藤長次郎、布施由蔵、有幌町にて平山某の家屋は半ば潰倒し海嘯(つなみ)なりと思ひて大騒ぎをなしたりしと。
▲流失木材 小樽木材、実業木材、三井物産等の海岸に積置ける角材、枕木等、大部分激浪に渫(さら)はれて流失し、港内は勿論朝里方面の沿岸に迄漂着し波浪と共に岸を撃ちて危険極まりなしと云ふが、小樽木材の分は角三千、枕木一万二三千本なる由なるも、其損害額は昨日中は未詳なりし。
▲流失船の行方 当港にて西北風の為めに流失したる船舶は銭函方面の沿山に漂着するを例とするが故、各艀主は同夜面ちに船顕を同方面に急行せしめたりといふが、山甚の艀総取締にして有名なる駒田藤太郎の如きは、同家所有艀の損害を以て自己の失策とし割腹して申訳せんと云ひ出し一時は仲々の大騒ぎをなせしも、人に止められて矢張銭函方面に出張したる由なり。
▲陸上の損害 区内にては稲穂町交番所附近の小林パン製造所の屋根半分程暴風の為めに吹飛ばされしを初めとし、各商店の看板等の吹飛ばされたるもの少からざる由。
▲札樽間鉄道電話不通 流失木材の為め朝里張碓方面の沿岸破壊せられ、為に朝里銭函間に二ヶ所迄鉄道線路破損し、流失木材及び艀の破片等其他に積堆して一昨夜より札樽間汽車不通となり、電話も亦同一の理由に依りて不通となれり。一昨日函館発一番汽車の如きは一昨午後六時十分中央駅に着し更に札幌へ向け進行したるに、朝里駅を過ぎて間もなく線路数町の間激浪の中に沈み居るを発見し、モ少しにて海中に突進せんとするを危うく途中に停車せしが、乗客の狼狽一方ならず、小樽駅よりは炊出を送りて急を救ひ、昨日午前八時二十分漸く小樽駅に逆行し来れりといふが、同駅よりは直ちに多数の線路工夫修繕の為め出張せり。
▲鉄道開通期 保線課にては昨日正午迄に鉄道線路破損個所全部復旧すべしと声明し居りしも、午後三時迄は未だ何等の通知に接せざりし。多分本日中は開通せらるべく、電話線も亦本日中には通話しうるに至らん。
▲銭函方面の被害 銭函村に於ても激浪地面を侵し来り、ソレ津波よと真夜中に老幼泣き喚(わめ)き大騒ぎをなせしが、流失家屋二、半流失九、浸水二十五戸に達し、其損害は取調中。此が為め小樽警察署にては非番巡査を召集し、米蔵部長是れを引率して昨日午前十時同地方面に急行せり。
▲塩谷方面 昨日塩谷高嶋より小樽支庁に達したる電報に依れば、忍路高嶋、塩谷等の沿岸一帯も怒濤に洗はれ家屋船舶の流失せるもの少なからず。高嶋、祝津間の海岸殊に破壊甚しく交通途絶し、人畜の損害は未詳の由。
(小樽日報 明治四十年十二月八日・第四十一号)
底本:石川啄木全集 第8巻
筑摩書房
1979(昭和54)年1月30日初版
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入力:新谷保人
2005年12月8日公開
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