秋風記・綱島梁川氏を弔ふ
小引
明治四十年八月二十五日夜の函館大火は驚くべき惨劇を演出して一時殆(ほとん)ど区の生命を絶てり。予当時弥生尋常小学校に代用教員たり薄給僅かに十二金遂に一家数人の口を糊(こ)すべからず。乃(すなは)ち函館日々新聞の招に応じ未だ校を辞せざるに暑中休暇を幸とし入りて同社に遊軍たり給十五金の約成る。生れて初めて新聞記者となり僅かに八日を経(ふ)。火起りて社先づ焼け学校亦烏有(ういう)に帰す。社は容易に立つ能(あた)はざるものの如く学校亦(また)無資格者淘汰(たうた)の噂頻(しき)りなり。九月に入り札幌に在る詞友夷希微(いきび)向井永太郎君より飛電あり来りて北門新報社に入れ月十五金を給せむと。乃(すなは)ち其月十三日夕星黒き焼跡に名残を惜みて秋風一路北に向ひ翌十四日札幌に着き向井君の宿なる北七条西四丁目四、田中方に仮寓を定む。翌日初めて露堂小国(おぐに)善平君に逢ふ。君は予と同県宮古(みやこ)の人今北門の硬派記者たり予を同社に推薦したるは此人なり。十六日より出社し伊藤和光君と共に宿直室にありて校正の事に従ふ。『秋風記』は乃ち此哀れなる校正子が入社の辞にして載せて十八日の紙上にふあり。後数日畏友(ゐいう)梁川(りやうせん)綱島栄一郎氏の訃(ふ)に接し悲風千里より来るの感あり弔文を草して余白を借る。連載三日而(しか)して其最後の日乃ち二十七日は実に予が小樽日報の創業に参加するの約已(すで)に成りたる時にして同日夕予は愴惶(さうくわう)行李を整へて小樽に向へりし也。滞在僅々(きんきん)二週日のみ。丁未の秋静かなる札都の夢は茲(ここ)に名残を此二篇に留(とど)む。
於小樽花園町 啄木識
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秋風記
石川 啄木
◎遂に予は放浪の民なり、コスモポリタンの徒なり、天が下家なき児なり。今年五月の初め、一人みちのくの花を後にして潮速き津軽の海を渡り、巴港湾頭に居をトしてより僅かに百二十有余日、朝(あした)に大森の浜の濤声(たうせい)を友とし、夕(ゆふベ)碧血碑(ヘきけつひ)畔(はん)の暮風に嘯(うそぶ)けども、身世(しんせい)の匆劇(さうげき)徒(いたづ)らに苦思を醸(かも)すこと多く、胸裡深く瓢泊の愁を蔵しては又心頭白雲を浮べ、肘を曲げて石上に眠るの閑なし。焉(いづく)んぞ秀句一絶陶(いちぜつたう)として世を忘るるの興あらむや。友白村よく飲み白鯨よく歌ふ、相共に携へて高頭笑傲(せうがう)し、漫に世事を罵りて以て僅かに悶を遣りき。八月二十五日の夜、火帝東風に乗じ、其威あたるべからず、紅舌立所(たちどころ)に万戸を甜め尽して熱風海波を沸かし、須臾(すゆ)にして函館の全市殆んど烏有(ういう)に帰し了んぬ。予一人心に快哉を絶叫して、天火人火、地に革命到るとなせり。人よ、予を以て徒(いたづ)らに世を呪ひ人を咀(のろ)ふ者となす勿れ。鯨児(げいじ)尺池(せきち)に入れば、其水必ず溢る。予が胸中の心火、滅せんとして滅せず、其煙出るの路を知らず、乃ち筆舌をかりて反逆の声をなすのみ。寧(むし)ろ憐れむべからずや。
九月十三日夜、星黒き焼跡の風に送られて、予は鉄車一路北遊の途につけり。亀田駅にて友と別るれば身はむさ苦しき車室の中にありて腰下す席もなし。窓を明けて南天(なんてん)臥牛山(ぐわぎうさん)を望む、沈として眠るが如く劫初(ごふしよ)より覚めざるが如し。其麓に連れる万点の火光は予が為めに懐かしき人々の夢を語りて囁くが如く瞬けり。荘厳なる夜――歴史以前より変る事なき夜の力は、浩蕩(かうたう)の彼方より迫り来りて予が心を圧しぬ、漸(やう)やく一席を得て腰を下し、腕を拱(こまぬ)いて瞑目すれば新らしき流離の愁泉の如く湧き来りて涙の味はいとも苦かりき。
翌暁小樽に下車、数刻にして再び車中の人となり、銭函(ぜにばこ)駅を過ぐれば眼界忽ち変じて、秋雲雨を含める石狩の大平原を眺めぬ。赤楊の木立を交へたる蘆荻(ろてき)の間より名知らぬ鳥の飛び立ちたるを見て、何とはなく露西亜の田園を行く思ひしぬ。ツルゲネーフが「猟夫日記」さてはト翁が「コサツク」中の銃猟の章など心に残れる為めなるべし。午後一時少し過ぎて身は既に美しき北の都の人なりき。
札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市(まち)なり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷(さと)なり、詩人の住むべき都会なり。此処に住むべくなりし身の幸を思ひて、予は喜び且つ感謝したり。あはれ万人の命運を司どれる自然の力は、流石に此哀れなる詩人をも捨てざりけらし。
札幌に似合へるものは、幾層の高楼に非ずして幅広き平屋造りの大建物なり、自転車に非ずして人力車なり、朝起きの人にあらずして夜遅く寝る人なり、際立ちて見ゆる海老茶袴(えびちやばかま)に非ずして、しとやかなる紫の袴なり。不知(しらず)、北門新報の校正子、色浅黒く肉落ちて、世辞に拙(つたな)く眼のみ光れる、よく此札幌の風物と調和するや否や。
(北門新報 明治四十年九月十八日)
底本:石川啄木全集 第4巻
筑摩書房
1980(昭和55)年3月10日初版
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入力:新谷保人
2006年3月7日公開
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